鬼滅の刃・天国と地獄の分かれ道とは?三途の川を渡る意味を解説!

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鬼滅の刃』では、天国・極楽へ行く人と地獄へ行く人とに分かれています

天国と地獄への分かれ道の基準って何なんだろう?と気になりました。

そこで、今回は天国と地獄の分かれ道について解説していきます。

また、三途の川を渡ることの意味についても解説します。

鬼滅の刃・天国と地獄の分かれ道とは?

鬼滅の刃』を読んでいて、天国・極楽に行く人と、地獄へ落ちてしまう人の分かれ道は何なんだろう?

ふとそんな疑問が頭をよぎりました。

疑問は解決したい私。

早速、天国と地獄の分かれ道について、考察することにしました。

天国と地獄の分かれ道の基準について

どうやら天国・極楽と地獄の分かれ道には基準があるようです。

その基準とは、人を殺したことがあるかないか

地獄に落ちてしまう人は、人を殺したことがある人

天国・極楽へ行く人は、人を殺していない人

ただ、天国へ行く人でも、地獄へ行くことはできるようです。

このように「人を殺したことがある・ない」によって地獄へ行くか、天国へ行くかが決まっているのです。

死亡キャラの行き先は?

死亡キャラは、柱たち鬼殺隊に関係する人や上弦の鬼についてあげております。

『鬼滅の刃』では、無限列車編では煉獄杏寿郎が死亡します。

遊郭潜入編では上弦の鬼の堕姫・妓夫太郎が死亡

刀鍛冶の里編では上弦の鬼の玉壺、半天狗が死亡

無限城編では、産屋敷耀哉、産屋敷あまね、産屋敷ひなき・にちか、珠代、胡蝶しのぶ、獪岳、猗窩座、童磨、黒死牟、時透無一郎、不死川玄弥、鳴女が死亡します。

最終決戦編では、悲鳴嶼行冥、伊黒小芭内、甘露寺蜜璃、鬼舞辻無惨が死亡します。
鬼舞辻無惨は消滅と言った方が正しいですね。

あまりに多くのキャラが死亡しましたが、死亡したキャラの行先はどこに行ったのでしょうか。

天国・極楽へ行った人たち
煉獄杏寿郎、時透無一郎、胡蝶カナエ、胡蝶しのぶ、甘露寺蜜璃、伊黒小芭内、悲鳴嶼行冥、時透有一郎、不死川玄弥、竈門家の人たち、産屋敷耀哉、産屋敷あまね、産屋敷ひなき・にちか

地獄へ堕ちたであろう人たち
珠代、妓夫太郎と堕姫、玉壺、半天狗、獪岳、猗窩座と恋雪と父親、童磨、黒死牟、鳴女、鬼舞辻無惨
(下弦の鬼だけど、印象が強かったので、付け加えておきます。累と両親)
※恋雪と父親は天国・極楽へ行ける人たちだけど、狛治(猗窩座)と一緒に地獄へ行くことを選んだのです。

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三途の川を渡る意味について解説

三途の川を渡ってしまったら、死亡することを意味しています

三途の川を渡ってしまうと、その人が人を殺していなければ天国・極楽へ、人を殺めていたら地獄へ行くことになります。

三途の川の手前にいて、意識が戻り、現世に戻れるというパターン

故人が三途の川を渡りきらずに、現世に未練があり、地縛霊のように現世にいるパターンもあります。

では、そのようなパターンについて見ていきましょう。

善逸の爺ちゃんの場合


大きな川を隔てて、右側に爺ちゃん。左側に善逸がいます

亡くなると、三途の川にすぐ向かうので、川より右側にいる爺ちゃんはすでに三途の川を渡ってしまい、死後の世界にいることがわかります。

善逸は兄弟子の獪岳(鬼になっている)と戦い、瀕死の重傷を負い、三途の川を渡りかけていました。

でも、赤い彼岸花が善逸の行く手を邪魔をしたことにより、善逸は意識を取り戻します

きっと三途の川のところで爺ちゃんに「善逸、お前は儂の誇りじゃ」と涙を流して言ってもらえたことも現世に戻ってこられた理由のひとつでしょう。

胡蝶しのぶの姉胡蝶カナエの場合

胡蝶カナエは童磨と戦った時に、童磨の体内に吸収されて死亡しました。

でも、カナエは三途の川は渡っていなかったようで、無限城で童磨と胡蝶しのぶが戦っていて、心が折れそうになった時に、カナエが叱咤激励をしてくれました。

カナエは三途の川を渡らずに、しのぶの近くに寄り添っていてくれたのでしょうね。

カナエはまるで幽霊のようでしたが、胡蝶しのぶにはカナエの存在を感じることができたようです。

その後は折れそうな心を立て直し、また童磨との戦いを続けていました。

結局は、胡蝶しのぶもカナエのように童磨に敗れてしまいます。

胡蝶しのぶは童磨の体内に吸収されてしまいました

その後は、胡蝶カナエ・しのぶ姉妹は天国へ。

狛治(猗窩座)に恋する恋雪の場合


猗窩座が人間だった頃(狛治)に、狛治のことが好きだった恋雪

狛治も恋雪のことが好きだったのに、妬みから恋雪と恋雪の父親は家の井戸に毒を入れられて殺されてしまいました。

そんな恋雪が狛治が鬼になってもまた人間の頃の優しい狛治になって戻ってきてくれると信じて、三途の川を渡らずに、待っていてくれました

猗窩座は最後、頸を斬られて死亡しますが、恋雪が優しく猗窩座に「狛治さんありがとう。もう充分です」と伝えていました

これでようやく死後の世界へ向かっていけるのです。

竈門炭治郎・禰豆子の両親の場合

炭治郎や禰豆子が意識をなくしているときに無意識の世界や夢で両親が語りかける場面がいくつかあります。

夢の中に母親が出てきて、炭治郎に「禰豆子を頼むわね」と言われるシーン。

最終選別の時に、炭治郎に「迫る危険」を兄弟が知らせてくれるシーン。

禰豆子が人間に戻る薬を飲んで鬼から人間へと戻っていくときに、禰豆子に父が「炭治郎の危険」を知らせてくれるシーン。


鬼に殺されてしまった竈門一家の人たちは炭治郎と禰豆子のことが気がかりで、三途の川を渡らず、危険が迫っているときにタイミングよく知らせるというサポートをしていました。

鬼舞辻無惨が消滅した後、炭治郎と禰豆子が鬼のいない世界で暮らしていけるようになってから、竈門家の人たちは三途の川を渡っていったのでしょうね。

上記で説明した人たちは、三途の川を渡れば天国や極楽へ行けるはずの人だが、現世の人に対しての思い入れが強く、現世での行動を見て、必要な時に必要な助言をおこなっていたのでしょう。

その助言が必要ではなくなった時点で三途の川を渡って天国や極楽へ向かったと考えられます。

まとめ

天国と地獄の分かれ道については、

人を殺したことがない、あるで区別される。

人を殺したことがなければ、天国・極楽へ行ける

人を殺したことがあれば(どんな理由であろうとも)地獄へ堕ちる

珠代が鬼舞辻無惨を殺すために産屋敷耀哉に協力して、鬼舞辻無惨を消滅させるための立役者となっています。

しかし、珠代は鬼になって自暴自棄になった時に人を殺めたことがあるため、天国・極楽へ行くことはできませんでした。

好きで鬼になった訳でもないのに・・・と珠代に同情せざるをえません。


三途の川を渡ることの意味については、

三途の川を渡ってしまったら、死亡することを意味しています。

三途の川を渡ってしまうと、その人が人を殺していなければ天国・極楽へ、人を殺めていたら地獄へ行くことになります。

三途の川の手前にいて、意識が戻り、現世に戻れるというパターン

故人が三途の川を渡りきらずに、現世に未練があり、地縛霊のように現世にいるパターンもあります。


『鬼滅の刃』では、本当にたくさんの人が亡くなります。

人は命あってこそなんだな、というのをしみじみと感じさせられます。

永遠の命が欲しいと思いつつも、有限である命であるからこそ、大切に生きることができているのではないかと考えられるようになりました。

煉獄杏寿郎が猗窩座との戦いの時に言っていた「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」が胸にズシーンと刺さります

あー、このセリフを読むだけで、うるうるしてしまう。

このうるうるシーンはこちら↓


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今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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