『パリピ孔明』って三国志オタクの方にも、そうでない方にも楽しめるアニメですね。
私は三国志に疎くてよくわかっていないのですが、『パリピ孔明』は楽しく見ています。
楽しく見ていられるのは、物語の中で、三国志オタクのBBラウンジのオーナーである小林が登場し、諸葛亮孔明とともに三国志についての解説をしてくれるからです。
今回は、そんな三国志について、「水魚の交わり」の意味と由来について説明していきます。
私と同じように歴史が苦手やよくわかっていない人にもわかりやすく解説していきます。
これを機会に、三国志に興味を持ってもらえると嬉しいです。私は少しずつ興味を持ち始めました。
目次
水魚の交わり(すいぎょのまじわり)の意味とは?
『パリピ孔明』の2巻の内容をアニメ化した第4話「孔明、道を照らす」のところで、「水魚の交わり」のエピソードについて描かれています。『パリピ孔明』のアニメで、「水魚の交わり」と孔明が言ったときに、英子は「水餃子のマジ噛み」って聞き違える。
孔明は優しく、もう一度、「水魚の交わり」と言ってくれますが、英子は「水餃子のマジ噛み」だと思っています。
(私も誰かと話していて文言をよく聞き間違えますが、英子も相当ひどい聴き間違えをしますよね。その聞き違えがむちゃくちゃ笑えるんですよね。)
水魚の交わりについて
水魚の交わり(すいぎょのまじわり)は、故事成語の一つ。「魚は水があったら生きていられる」という例をもって「欠くべからざる友の存在」を喩えたもので、「水と魚のように切っても切れない親しい関係」を「離れることができない、親密な間柄や交際」の喩えなどに用いる。主従や夫婦の仲が良いことなどについても用いる。
wikipediaより引用
では、そんな英子が聞き違えた「水魚の交わり」についてどういうことなのかを解説していきますね。
三国志での水魚の交わりの意味と由来とは?
水魚の交わりは、故事成語であり、劉備と孔明の関係を表しています。君主である劉備と、家臣である孔明の仲が良いことを表すもの。
実は、劉備は昼夜を問わず、孔明に意見を求め、師として仰いでいました。
いつも意見を求めている劉備に対して、劉備の家臣は心中穏やかではなかったため、劉備のその真意を訊ねたそうです。
そうすると、劉備は次のように答えたそうです。
「孔明は水で、私は魚だ。つまり私は水を得た魚と云えよう」
劉備は魚であり、孔明が水。
魚にとって、水は必要なもの。なくてはならないもの。
このことから、「水魚の交わり」は、お互いにとって欠かせない存在を表す故事成語なのです。三国志の劉備と孔明が由来になっているのですね。
ちなみに、故事成語は、故事をもとにしてできた言葉のことです。
中国の故事からできた語です。
故事というのは、大昔にあった出来事や、昔から今に伝わる話やいわれのことです。
パリピ孔明での水魚の交わりは?
『パリピ孔明』のアニメの中でも、「水魚の交わり」という言葉が出てきます。英子は「水餃子のマジ噛み?」って聞き間違えてしまいますけどね。
では、どのようなシーンで「水魚の交わり」が出てくるのかを見ていきますね。
英子にとっての音楽は水魚の交わり
孔明と英子は六本木でオール明けにうどん屋さんでうどんを食べているシーンがあります。その時に、孔明と英子との会話で、水魚の交わりについての話が登場します。
孔明は、英子にとって音楽が水魚の交わりなのだと言います。
英子は孔明に自分の夢を告白します。
10万イイネ企画についてどうしていくか対策をしていかないといけないのに、孔明はクラブ通いで遊んでばかり。
不満を募らせていた英子ですが、孔明が10万イイネの達成のために情報収集するために毎晩クラブ通いをしていたことを知り、ハッとします。
いろいろやってくれていたことがわかり、ごめんと謝ります。
そして、自分の夢を孔明に語りだします。
夢のこと、過去のこと、家族のこと・・・
英子自身が、「これ(音楽)しかないんだ。音楽で生きていくんだ。音楽が好きな気持ちは手放せないんだよね。」と言います。
「だから、ボイセルランドに出たいんだ。そうしたら届くかなって。」
このセリフを言った後に、孔明が英子に、「魚にとって水が必要なように、英子さんにとって音楽はなくてはならないものなのでしょう。これを水魚の交わりと言います。」
これを言っているときの孔明の目が優しくて、孔明は本当に英子のことを、英子の夢を全力で支えることに徹しているんだなと伝わってきました。
孔明にとって英子の歌は水魚の交わり
孔明にとっての水魚の交わりだと思うのは英子の歌。英子の歌に三度救われた孔明。
英子の歌声は孔明の心を強く打ち、感動を与えた。
(地獄の歌姫って言ってたからね。孔明は本当に地獄の中で出会った一筋の光のような、清々しく感動を与えるものだったんだろうね。)
感動を与えてくれた英子に対して、英子の夢を全力で支えると言う孔明。
実際に、英子の夢が叶えられるように、英子の歌声を多くの人達に(孔明曰く、民草(たみくさ))届けられるように、孔明は策をいろいろと巡らせてくれている。
英子が孔明に助けられているように見えるけれど、孔明も英子の歌声に助けられている。
英子にとって孔明は水餃子のマジ噛み?
「水魚の交わり」という言葉を「水餃子のマジ噛み」と聞き違え、その言葉を使う英子。孔明は、「水魚の交わり。欠くべからず友の存在という意味です」と優しく説明してくれる。
そうすると、英子が「ふぅーん。じゃあ、私と孔明と私も水餃子だね。頼りにしてるってこと。」と言う。
この英子の言葉で、英子自身も孔明の存在がなくてはならないものになっているということ、すなわち、「水魚の交わり」であるということ。
英子自身が心の内を孔明に話してくれたことで、孔明は喜び、「私とあなたは一蓮托生」と言い、「どうかその道果てるまでお供することをお許しください」と英子に伝えた。
ちなみに、一蓮托生(いちれんたくしょう)とは、結果の良し悪しにかかわらず、行動・運命を共にすること。
良い時も悪い時もいつも一緒に行動していくことを誓ってくれた孔明。
英子も孔明を頼りにしているので、英子にとって孔明も「水魚の交わり」なのだ。
『パリピ孔明』を読むことによって、故事についても学べるし、三国志についても関心を持つようになる。
私のように歴史が苦手な人にぜひともオススメしたいマンガです。
まとめ
水魚の交わりについては、水魚の交わり(すいぎょのまじわり)は、故事成語の一つ。「魚は水があったら生きていられる」という例をもって「欠くべからざる友の存在」を喩えたもの。三国志での水魚の交わりとは、君主である劉備と、家臣である孔明の仲が良いことを表すもの。
パリピ孔明での水魚の交わりは、
・英子にとっての音楽は水魚の交わり
・孔明にとって英子の歌は水魚の交わり
・英子にとって孔明は水餃子のマジ噛み
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