紙の月の梨花と恵子のダブル不倫は倫理観が欠如してる?伝えたいメッセージについて考察

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不倫と聞いた時に、あなたはどんなイメージ(思い)を持っていますか?

・不倫は悪いこと、すべきじゃない
・不倫はあまりよくないと思うけど、自分がしなければいい
・不倫は当人の問題だから別にかまわない
・実は不倫経験者。何か問題でも?

不倫という言葉を聞いた時に、「紙の月」という映画を思い出しました。
恵子の不倫は銀行の上司、梨花の不倫は大学生の光太。

もし「紙の月」をまだご覧になっていない方は、地上波発で11月28日に放映されますので、是非ご覧くださいね。

テレビ東京での放映となります。楽しみですね。^^


今回は紙の月から不倫について考えてみたいと思います。

そもそも不倫とは?

不倫ってよく聞きますが、どういうものなのかを説明しようとしても、
「結婚している人が結婚相手じゃない異性と付き合うこと」という程度のざっくりとした説明しかできません。

もう少し丁寧に説明してみたいと思います。

辞書を引いてみると・・・
不倫とは、人が踏み行うべき道からはずれること。特に、配偶者でない者との男女関係。と書いてありました。

ふむふむ。

不倫って浮気とは違うんだろうか?という疑問が浮かび上がってきました。

不倫とは、配偶者以外の異性と恋愛をし、性交渉を行う行為のこと

浮気とは、性交渉を含むパートナー以外との異性との交際関係全般のこと


うーん。ほぼほぼ似たようなものだけど・・・

不倫と浮気の違いって何だろう?

一時的な気の迷いかどうか
いろいろなタイミングが重なって、たまたまなのが浮気、その後も親密になっていくのが不倫。

それまでと同じ関係に戻るかどうか
浮気は気の迷い的なところがあるので、いずれ相手と連絡を取ることがなくなっていく。
不倫は家庭環境を壊す可能性が高いもの。

短期で終わるか長期に続くかの違い
浮気は浅く短いイメージ。
不倫は深く長いイメージ。

配偶者に対する配慮の違い
最終的に配偶者を選ぶのが浮気。
最終的に婚姻関係をやめてでも相手を選ぶのが不倫。

なるほど・・・

なんか浮気や不倫のことを書いていたら、うちは大丈夫なんだろうか・・・と少しだけ不安になってきた。

(うちの旦那は真面目だし、子煩悩だし、大丈夫!って言いたいんだけど、そうも言いきれない。。。苦笑)

恵子の不倫と梨花の不倫

紙の月では本当にいろいろな社会現象について学ぶことができますよね。
(なんかこの映画は本当にいろんな意味で考えさせられます。)
「不倫」もダブルで出てきています。

恵子の不倫は明るい不倫、梨花の不倫は後ろめたい不倫って受け止めてしまいました。
なんなんでしょうね。苦笑

紙の月では恵子が銀行の上司と不倫

ロッカールーム(更衣室か)で恵子と梨花が話している場面がありますよね。
梨花が旦那からのクリスマスプレゼントでもらったカルティエのロードスターの時計をしているのを見た恵子が忠告する場面。

「職場では誰が見ているか見てるか分からない、注意しないと。」
って忠告するんですよね。

その忠告をしている時に、恵子は梨花にだけ、プレゼントでもらったロレックスのデイトジャストをこっそり見せるんですよね。

そして、「不倫相手にもらった」ことを告白していますよね。

恵子の場合、にこやかに朗らかにさらりと不倫を告白しているので、不倫って悪いことなんだという概念が全くないんだな、と思わせてくれます。
(あかんことだけど、そんなにさらりと言ったら、なんか許される感じがしてしまう。)

梨花はセクハラ爺さんから助けてもらった孫の光太と不倫

梨花は大学生の光太との関係がどんどん深くなっていき、横領したお金でスイートに泊ったり、派手な買い物をしたりしていますよね。

梨花が光太と不倫関係を続けていく中でどんどん綺麗になっていきましたよね。
(やっぱり恋をすると女性ってこんなに綺麗になっていくんだというのを思い知らされました。まぁ、宮沢りえさんはもともと綺麗な女性ですけど。。。)

横領したお金で繋がっている不倫関係なので、結局、光太は若い女性との関係が知られて不倫関係は解消してしまうのですが・・・。

なんかこっちの不倫は本当にドロドロとしているので、本来の不倫(どーいうのが本来なの?と突っ込まないでほしいけど)関係が描かれていますよね。

お金だけで繋がっている不倫ってすごく虚しいな、悲しいなという感情が出てきて、映画の中でのお話なのに、妙に梨花に対して感情移入をしてしまったので苦しくなってしまいました。←おいおい!)

不倫をするってことは倫理観が欠如しているの?

倫理観について考えてみたいと思います。

まず、倫理観とは、

“人として守り行うべき道、善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるものの考え方や捉え方”のことです。 考え方の中心には、個人の考え方でなく、社会に対しての考え方があります。(マナラボより引用)


恵子の倫理観としては、「不倫は当人の問題だから別にかまわない」という考え方に近いんじゃないかな。
善悪の判断はできる子だけど、ちょっとぐらいならいいんじゃないという甘い考え方の持ち主のような感じがする。
ただ、他人から見て、「その倫理観はどうなのよ?」とお叱りを受けるほどではない、というのが私の考察です。
(あくまで個人の考察ですからね。)

 

それに対して梨花の倫理観としては、「受けるよりは与える方が幸いである」という考えがある。

本来の「受けるよりは与える方が幸いである」という解釈ではなく、梨花の独特の「受けるよりは与える方が幸いである」の解釈に則って行動をしているのが問題。倫理観の欠如がハンパない。

梨花はカトリック系の女子校に通う中学生時代にも歪んだ「受けるよりは与える方が幸いである」を実行していた。

中学時代のカトリック系の学校では「愛の子供プログラム」という募金活動が行われていた。
梨花も募金活動をした。
それは、梨花に寄付した相手からお礼の手紙が送られてきた。
そうやってお礼の手紙を送ってもらうのが嬉しくて募金活動をやり続けていた。

(この募金活動をする行為はすごく良い行為。)

でも、募金活動をするために、梨花は父の財布から盗んだ金5万円を寄付するようになる。

(これはダメダメですよね。いくら家族といえども、人の財布からお金を盗む行為はいけない。悪の行為。)

梨花にとっては「受けるよりは与える方が幸いである」という学校の教えがあったから、盗んだ5万円を寄付する行為が悪いことだとは思えなかったようである。

梨花が行った行為によって「愛の子供プログラム」は中止となってしまった。

 

今回の光太との不倫でも、光太に「受けるよりは与える方が幸いである」という考えがもとになって、横領したお金で買った時計を与えたりしている。

これって、悪事で得たものを与えているので、イエス師がおっしゃっていたとされる「受けるよりは与える方が幸いである」とは全く違うものとなっている

(本来は、受けるというのは得ると解釈されていて、与えるのはモノではなく愛を与えるということ。)

梨花の歪んだ解釈の「受けるよりは与える方が幸いである」によって、光太も人生を大きく狂わされてしまった一人だと思うと、可哀想である。

(可哀想だけど、光太自身も倫理観は乏しいので、再教育が必要だ!とも思う。←あっ、話が逸れましたね。すみません。)

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『紙の月』で伝えたいことは何なのか?

『紙の月』では、梨花は「ただの犯罪者」として捉える表現をなされていません。

吉田大八監督の作品って、登場人物の多くはダメダメ人間で、クズ人間なんですよね。

そういうダメ人間がなぜそのようになってしまったのかということ(紙の月だったら梨花がなぜ横領に手を染めてしまったのか)を丁寧に描いていますよね。

梨花がなぜ横領したのか、横領までして得たかったものは何なのか。

横領に至るまでの過程と、その後の変化を見事に描かれます。

梨花の心理的変化の描写が見事で、自然と梨花に感情移入ができてしまいます。

梨花は横領犯なのになぜか応援したくなってしまうという妙な感じにさえなってしまいました。

『紙の月』では犯罪に手を染めた人を裁くことは簡単なことだけど、

犯罪に手を染めなければならないほどに主人公を突き動かしたものは何なのかということを

伝えたかったのではないかと思います。

あなたはどう思いましたか?

不倫を通して込められたメッセージとは?

不倫をする人は特殊な人間に見えるのかもしれませんね。

でも、普通の平凡な女性でも心の中では、日常に抱えている葛藤からの開放を求めています。

この開放を求める度合いが高く、思い込みの激しい性格だと「不倫」とかに走りやすいのかもしれません。

普通だと「不倫は倫理的に良くない」というブレーキがかかりますよね。

でも、激しい性格が引き金になってしまうと、普通の平凡な女性でも梨花と同じようなことが起こり得ることを示唆してくれているのではないでしょうか。

不倫は特別なものではなく、本当は私達の身近なところでも生じていることかもしれません。

または、あなた自身が不倫の当事者になる可能性もあることをメッセージとして投げかけているのでないでしょうか。

日常抱えている不安、仕事上の人間関係での不満、同じことの繰り返しの生活の退屈さ、夫(もしくは妻)との関係性のすれ違いなど、不安や事や不満なことは誰しもが抱えています。

そんな葛藤が元で、不倫や犯罪などに手を染めて堕ちていくことの可能性を教えてくれているように思います。

人生ではちょっとしたことがきっかけとなって、なにかの罠にはまっていくように、意識しないままに堕ちていくこともあるのだということをメッセージとして示されているように感じます。

まとめ

今回は不倫について考えてみました。

不倫は倫理観でみると良くないことです。
(私も不倫をされたら困るし、怒り狂うと思いますが・・・)

ただ、不倫関係が生じるということは、何か不満なこと、嫌なことがあって、それから逃れるために「不倫」という行動をしているのだと思います。

そう考えると、不満なこと、嫌なことを互いに話せるような関係を夫婦(もしくは恋人)を築いておくことが大切なんだと思います。

私は結構不満なこと、嫌なことを言わずに自分の中にため込んでしまうタイプなので、少しずつ旦那さんに吐き出していこうと思います。

(今まで溜めこんでいたから爆発して一気にまくし立てたりしないように気をつけます。)

そして、本来の「受けるよりは与える方が幸いである」を実行していけるようにしたいと思います。

(私は受ける方がメインになっているので、与えることもやっていくようにしていきたい。)

 

それでは今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

余談:受けるより与える方が幸せ

この世の中を見ていて「受けるよりは与える方が幸いである」について思うこと。

イエス師は、受けるより与える方が幸いだとおっしゃっています。

世の中の人は、与えるより受けるほうが幸いだ、と思っている人のほうが多いですね。

ほとんどの人が、「なかなか与えてくれない!」と不平不満を言っていますよね。
不平不満を言うだけにとどまらず、奪おうとさえして、最悪、争いあっていますよね。

こんなんじゃ、世の中、良くなるどころかどんどん悪くなる一方ですよね。

だから、私たちが「受けるよりは与えるほうが幸いだ」と言える人が多くなるようにしていきたいですね。

「受けるよりは与えるほうが幸いだ」と言える人が多くなれば、世の中はもっと住みやすくなるでしょうから。

住みやすい世の中にするためにも、みんなが「受けるよりは与えるほうが幸いだ」と言えるようにしていきましょう。

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「紙の月」を題材として書いております。
 引き続きご覧いただけると嬉しいです。^^

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