「水口かんぴょう」ってご存知ですか?
滋賀県の伝統野菜なんですよ。
でも、どうやって「水口かんぴょう」って作られているんでしょうかね。
気になったので、調べてみました。
そこで今回は、滋賀県の伝統野菜でもある「水口かんぴょう」の歴史や由来、作り方についてまで紹介していきます。
目次
水口かんぴょうの歴史と由来について
滋賀県には、かんぴょうの発祥地とも言われる産地があります。その産地は、甲賀市水口(みなくち)町、「水口かんぴょう」でその名を知られています。
「水口かんぴょう」は、水口の伝統野菜なのです。
では、滋賀県の伝統野菜である水口かんぴょうはどれくらいの歴史があるのでしょうか?
「水口かんぴょう」は、およそ400年前から甲賀市水口町で栽培されています。
400年の伝統ある特産品ですね。
水口かんぴょうの歴史
水口かんぴょうの歴史は、今から400年前にさかのぼります。慶長の初め(1600年ごろ)、桃山時代の城主である長束正家が農家に作らせたのが始まりと言われています。
その後、江戸時代の城主である加藤嘉矩になってから、かんぴょうを細長く線状にする製法を農家に教えたそうです。
正徳二年(1712年)、水口城主加藤氏の時、かんぴょうの新しい製法が壬生から水口に導入されました。
そして、その後、改良に改良を加えて献上、贈与、土産品として珍重されるようになっていきます。
このように、かんぴょうが改良に改良を加えられて、水口の地で受け継がれていったのです。
かんぴょうの発祥の地については諸説あるのですが、1600年ごろ水口岡山城主である長束正家が作らせたことから、「かんぴょう発祥の地」とも言われています。
その後、江戸時代に下野国壬生(栃木県壬生町)に伝わっていったようです。
現在では栃木県が国内生産の90%を担うほどのかんぴょうの産地となっていますよね。
400年前には滋賀県の水口がかんぴょう発祥の地だったのになぁ。
水口かんぴょうの由来
水口の初夏の風物詩といえば、かんぴょう干し風景!と言われるほど。歌川である安藤広重の錦絵「東海道五十三次」にも「かんぴょうを干す夏の女性たちの姿」が描かれていますものね。
滋賀県の水口町は、東海道の50番目の宿場町「水口宿」として栄えました。
水口かんぴょうは東海道五十三次の錦絵に安藤広重が写実的名作を描いてから一躍有名になりました!
水口かんぴょうが現在のかんぴょうの起源だと言われている由縁なのかもしれませんね。
水口かんぴょうの作り方や元の食材について
水口かんぴょうってどのようにして作られるのでしょうか?そして、水口かんぴょうの原料というか食材って何なの?
気になりますよね。紹介していきます。
かんぴょうはユウガオから作られる
かんぴょうに使われる野菜はユウガオ。
ユウガオとは、ウリ科ユウガオ属の一年草。
きれいな花も咲かせるユウガオは、ウリ科の野菜なんですよ。
7月から9月に大きな瓜のような実をつけます。
同じ仲間にヒョウタンがあります。
ヒョウタンは、食用には向いていません。外側の皮だけ乾燥させて容器として用いられます。
ユウガオは、食用に向いており、苦みもなく、食べやすいです。
大きさはバレーボールを二回りほど大きくしたくらい。
色は薄緑色です。
むちゃくちゃざっくりと言うと、ユウガオの皮をむいて干したものがかんぴょうです。^^
(ざっくりしすぎやー!)
かんぴょうづくりの手順
宇川地区でかんぴょうづくりに取り組んでいるのは、甲賀市シルバー人材センター登録の宇川地区在住者十数名の方々です。(えー、おじいさん、おばあさんたちだったのーとちょっと驚いた。けど、お元気ね。)
かんぴょうづくりは、まずユウガオの実を、機械にかけて外皮を削ります。
幅3センチ、薄さ2~3ミリの薄さで剥いていきます。
専用の機械があって、真っ白な実を手際よく細長く剥いていかれます。
グルグルと廻るユウガオの実に機械の刃を当てると、シュルシュルと勢いよく白い帯ができあがっていきます。
そのシュルシュルと白い帯状のユウガオを見てるの、面白いですよ。
(私がやったら、そんなに長くは剥けずに、細切れなものができあがりそう・・・)
長さは、長いもので3メートルを超えるんですって。
ユウガオを帯状に剥く作業は、あっという間に受け取るカゴがいっぱいになってしまいます。
シュルシュル楽しいな♪なんてやっていると、カゴがいっぱいになってしまって大変なことになりそう。
ユウガオを帯状に剥く作業はこちら↓
出来上がった白い帯はね、ひとつひとつ丁寧に竿にかけていくんですよ。
(これってすごく手間がかかるね。)
厚さ2~3ミリですからね、うすいよね~。
干す作業の時に破いてしまいそう。
竿にかけた状態で天日干しをしていきます。
この乾燥させる工程が一番重要なんだとか。
水口かんぴょうは、約1日半、天日で乾燥させておられます。
急な雨などで濡れることは厳禁!
干している間は、外出せず家で作業することが鉄則とのこと。
(以前は、ずっと干している間、見張りをしておられたそうですが、現在はビニールハウスの中で干されています。
見張り番も大変だもんね。^^;)
そして、乾燥させることにもコツがあるそうです。
コツは、夏の強い日差しと適度な風が、かんぴょう作りにとってのベストだそうです。
乾燥させすぎるのもNGです。
袋詰めの際に「割れ」が生じたりするから。
だから、乾燥具合を見極めて、取り入れをおこなうのは、経験を積まないと難しいとのこと。
(そりゃそうですよね。なにごとも経験を積まないといけないってことですね。)
こうやって、かんぴょうづくりの手順を見ていくと、かんぴょうづくりは手間のかかるものなんだな、ということ。
丁寧に時間をかけて作っていただいているということですね。ありがとうございます!
手間その1:かんぴょうの原料のユウガオを育てること
手間その2:ユウガオを収穫した後、細長い帯状に剥く作業
手間その3:細長い帯状にしたユウガオを干す作業
手間その4:乾燥させたものを出荷のために束ねる作業
うーん。何重にもなる手間を重ねて作られるかんぴょうなんですね。
そのかんぴょうが水口かんぴょうなのです。
かんぴょうづくりの担い手問題
すごく手間ひまかかる水口かんぴょうです。水口の伝統野菜であるかんぴょうづくりも、高齢化や農地の転用などで、生産者が少なくなっていきました。
(地方では担い手がどんどん少なくなっていくという問題が起きてますよね。)
そんな中、水口かんぴょうをなんとかしよう!伝統野菜を絶やさないようにしよう!ということで、甲賀市シルバー人材センター登録の宇川地区在住者十数名が協力して5年前から生産されるようになりました。
かんぴょうづくりの担い手は、甲賀市のシルバー人材センターの登録者の方々。
ちなみにシルバー人材センターに登録できるのは、原則60歳以上ということです。
ということは、担い手さんは60歳以上の高齢者の方々ということですね。
かんぴょう作りをされている映像を見ましたが、とてもそんな高齢者の方だとは思えませんでした。
きっと「水口かんぴょうを作り続けるぞ」という目標に向かって行動をされているので、年齢を感じさせなかったのだろうと思います。
担い手の問題をシルバーさんたちが解決をされているというのがすばらしい。
シルバーさんたちも、かんぴょうづくりをおこなうことで生活にハリがあって、イキイキされているのではないでしょうか。
こういう生き方、ステキですね。^^
まとめ
水口かんぴょうの歴史と由来、作り方を説明してきました。・水口かんぴょうは、滋賀県の伝統野菜であるということ。
。水口かんぴょうは、1600年ごろ水口岡山城主でる長束正家が作らせ、今からさかのぼること400年前から甲賀市水口町で栽培されていた。
・水口かんぴょうを作る工程はかなり手間がかかっており、大変だということ。
・伝統野菜である水口かんぴょうを絶やさないために、シルバー人材センターに登録されている宇川のシルバーさんたちで盛り立てておられること。
あなたも滋賀県の伝統野菜である水口かんぴょうを是非ご賞味くださいませ。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう。(^^)/~~~