キミスイで一躍有名になった映画。
「君の膵臓をたべたい」の映画はずっとずっと気になっていました。
見終わった感想は、「生きること」について考えさせられる映画だな、ということ。
日頃は日常のドタバタの中で時間が過ぎ去っていき、じっくりと「生きること」について向き合えていませんでした。
今回は、『君の膵臓をたべたい』を観たことによって「生きること」について考察したことを述べていきます。
是非、あなたも「生きること」について考えてみられてはどうでしょう?
目次
君の膵臓をたべたいの生きる意味とは?
『君の膵臓をたべたい』の中で「生きる意味」について、語られる部分がありますよね。
桜良自身の「生きる」意味について、僕自身の「生きる」意味についても語られます。
それぞれがどのように生きることについて捉えているのかを見ていきましょう。
僕が桜良に訊ねる場面
僕が桜良に「君にとって生きるっていうのはどういうこと?」と訊ねる場面がありますよね。あの場面、私にとってはすごく印象的な場面として心に刻まれました。
なぜかって?
それは自分を桜良に投影してしまったから。
もし、自分が余命1年だという時点で、「君にとって生きるっていうのはどういうこと?」って聞かれたら、答えられるのかと考えてしまったから。
答えは・・・
答えられない。というか、きっとヒステリックになってしまうというかパニックになってしまうだろうなと想像します。
そんな私と違って、桜良は、「生きること」についてちゃんと向き合っていて僕に対して丁寧に答えていきます。
「君にとって生きるっていうのはどういうこと?」と訊ねる場面は・・・
桜良が検査のために入院している病院に僕が忍び込んだ時のことです。
病室で、桜良は、僕に「真実か挑戦かのゲーム」をしようと提案するんです。
本当は桜良がゲームに勝って、僕に何かを聞きたかった。
でも、実際は、僕がゲームに勝ってしまった。
桜良は、「こんな時は神様は病人に味方してくれると思っていた」という内容のセリフを言うんですが・・・
結局、桜良は勝負だから、と言って、自分が負けたことを受け入れて、真実を選びます。
すると、僕が「君にとって生きるっていうのはどういうこと?」と訊ねるんですよね。
生きる意味について語る桜良。 最初は茶化していたのに、どんどん真面目に答えていくので、うるうる泣けてきます。
桜良の「生きる意味」セリフ考察
僕に「生きる意味」を質問されたことによって、桜良は最初、茶化したように笑うんですよね。でも、そのあとは・・・
うははは、と笑った後に、桜良は考えながら、答えていくんですよね。
まじめかよ
うーーん
だれかと心を通わせることかな
だれかを認める
好きになる きらいになる
だれかと一緒に居て 手を繋ぐ
ハグをする
すれちがう
それが生きる
自分ひとりじゃ生きてるってわからない
そう 好きなのに嫌い
楽しいのに うっとうしい
そういう まどろっこしさが人とのかかわりが
私達が生きているって証明だと思う
桜良のセリフより
そして、僕の肩に桜良の頭を寄り添わせて、次のセリフを言うんです。
だから、こうして君といられてよかった
君がくれる日常が あたしにとっての宝物なんだ
桜良のセリフより
ここで映画でも場面が変わって、現在の僕が桜良の「共病文庫」を読んで泣いている場面が映し出されるんです。
僕である小栗旬さんと同じように、私もぽろぽろ泣いちゃいました。
なるほど。
桜良が言う「生きること」は、
人とのつながりが生きることそのものだということ。
桜良はいつも誰かとつながっていたもんね。
桜良は友達と一緒に笑いあっていましたもんね。
人気者の桜良
本当は一人じゃいられないから、誰かとつながりを持っていないと不安だった桜良。
不安だったからこそ、誰かとつながることで安心を手に入れていたんだね。
桜良は僕(ハルキ)に憧れていた?
僕はいつも一人で行動をしていた。
クラスメイトとはほぼ話さず、ほとんど本を読んで過ごしていた。
人と関わることに関心を持っていなかった。
たった一人で生きる僕
ハルキは誰とも関わらずに、一人で生きていた。ということは、自分一人で自己解決できる強い人だということ。
そう、たった一人で生きる僕なのだ。
普通の人は、一人でいることがしんどくて、寂しくて、悲しくなってしまうので、誰かと群れようとする。
でも、ハルキは群れることは好まず、一人でいることを好んでいた。
なんでも自分で、自分自身で解決していく、そんな強さがある人がハルキだった。
そんな自己解決できるハルキを桜良は憧れていたんだね。
桜良の遺書にあるハルキへの憧れ
桜良が最後に「何を聞こうとしていたのか」について書かれた手紙がある。
そう。教師になった僕が必死に探した「宝探し」のお宝。
お宝は、「星の王子さま」の本の中にあった。
分類番号をちょっと間違えた形にして本来あるべき場所じゃないところに、「星の王子さま」の本は置いてあった。
そう、開架式の書架ではなく、図書館の書庫である方の書架においてあった。
お宝は、桜良の遺書となる手紙。
封筒の中には、2通の手紙が入ってた。
1通は親友の恭子にあてたもの。
そして、もう1通は僕にあてたもの。
病院で 「真実と挑戦」ゲームで
何を聞こうとしたか教えてあげる
それはね
どうして私の名前を呼んでくれないの?ってこと
だって はるき 私の名前を一回もよばなかったでしょ。
最初からずっと 君 君 きみ
ひどいよ
でもね 病院に忍び込んでくれた時にきづいたんだ
いずれ失うってわかっている私を友達や恋人きみのなかの特別の誰かにしたくないんだって
でも あたし そんな はるきにあこがれてた
だれとも関わらないで たった一人で生きている つよいはるきに
わたしは弱いから 友達や家族を悲しみに巻き込んじゃう
でもね はるきはいつだって自分自身だった
はるきは本当にすごいよ
だから その勇気をみんなにもわけてあげてください
そして誰かを好きになって 手をつないで ハグをして
鬱陶しくても まどろっこしくても たくさんの人とこころをかよわせて
私の分も 生きて
あたしね はるきになりたい
はるきの中で生き続けたい
ううん そんなありふれた言葉じゃだめだよね
そうだね
きみはいやがるかもしれないけれど
わたしはやっぱり
君の膵臓をたべたい
桜良からの手紙
うーん。この手紙のところでまたまたぽろぽろ、いや、ボロボロ泣いちゃった。
この映画は本当に感動する映画。
そして、自分に対して「生きること」について考える機会を与えてくれるとても素晴らしい映画です。
桜良についての生きること、僕についての生きること、そして、自分自身についての生きることを考えることができます。
映画を観ていて、エンドロールをぼんやりみつつ、「私にとって生きることとは?」と考えていました。
君の膵臓をたべたいのはなぜ?
膵臓をたべたいって聞いたときは、なんちゅーネーミングなん!ってびっくりしました。
でもね、映画を観ていくにつれて・・・考え方が変わっていきました。
それは、「同物同治」という教えを知ったから。
えっ? 「同物同治」ってなあに? って思いますよね。
簡単に説明しますね。
実は、薬膳の世界には「同物同治(どうぶつどうち)」という言葉があるんです。
「身体の弱っている部分を治すには、不調の場所と同じものを食べるといい」という考え方なのです。
『君の膵臓をたべたい』で桜良も言っていましたよね。
(まぁ、これは悪いところをよくするために食べたいという意味じゃないんだけどね。)
だから、もし、あなたが肝臓の調子が悪いのなら、レバーを食べるといいですよ、ということですね。
でも、桜良が言った(書いた)「君の膵臓をたべたい」という本当の意味は、なんでしょう。
「人に食べてもらうとね、魂が、その人の中で生き続けるんだって」と桜良は九州へのお泊りの時に言っていました。
うーん。これも当てはまるようでちょっと違う。微妙に違う。
じゃあ、本当の意味は?
それは、桜良と僕が、どちらともがお互いを、「かけがえのない相手」だと思っていたし、「魅力的な人」だと思っていたことによるもの。
もう少し説明しますね。
魅力的という表現はざっくりしすぎていて、抽象的すぎますよね。
うーん。理想的な人、こういう人になりたいなという人ってこと。
こういう人になりたいなという意味合いが、君の膵臓をたべたい という表現であらわされています。
もっと端的に言うと、「爪の垢を煎じて飲みたい」と言った方がいいかも。
でも、桜良も、僕も 「爪の垢を煎じて飲みたい」という表現よりも、二人にしっくりくるのは
「君の膵臓をたべたい」という表現だったというわけ。
このわけがわかると、余計に感動して泣けますよ。
この「君の膵臓をたべたい」という言葉は、桜良と僕との秘密の暗号みたいなものですね。
(なんかキュンキュンしてしまいます。)
まとめ
桜良についての生きるとは・・・僕(はるき)にとっての生きるとは・・・
私にとっての生きるとは・・・
それぞれの「生きること」についての意味を考えさせてくれる素敵な映画でした。
もう一度、この感動的な映画『君の膵臓をたべたい』をご覧になりたい場合には、2020年9月2日に金曜ロードショーで放送されますよ。
是非ご覧くださいませ。
私も観ます! 観てまたボロボロと泣くことになりそうです。
だって、今、この記事を書いていてもうるうると泣けてくるぐらいだから・・・ ←涙腺、弱すぎでしょうか?
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今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
では、また次回のブログでお会いしましょう。(^^)/~~~