『コクリコ坂から』の映画を観ました。
最初はちょっとわかりづらかったけれど、話が進むうちになるほどね、そういうことねと納得できました。
映画の『コクリコ坂から』は、原作があって、それを宮崎駿さんが脚本されて制作されましたね。
原作の漫画『コクリコ坂から』が好きな人には、映画はイマイチだったようです。
どうやらずいぶん映画と原作では違いがあるようなのです。
そこで、今回は、『コクリコ坂から』の原作と映画の違いを検証していきます。
特に、登場人物である海、風間俊、北斗さん、祖父についてのキャラ設定がずいぶん異なっているようなので、その点を重点的に説明していきます。
目次
【コクリコ坂から】原作・映画の違いを検証
原作は、少女漫画です。高橋千鶴さんのイラスト、ほのぼのしますね。
原作は佐山哲郎さんです。
1980年に「なかよし」に連載されていたんですよ~。
少女漫画の月刊誌、懐かしい。
アニメとはずいぶんイメージが違います。当たり前か。
描いている人が違うもんね~。^^
大きな違いは、この2つ!
●登場人物(海、俊、北斗、祖父)のキャラ設定
●カルチェラタンの有無
原作と映画のキャラ設定の大きな違い
『コクリコ坂から』の登場人物のキャラ設定があまりに違いすぎている人たちがいます。その人たちについて、どのようにキャラ設定が違っていたのかを検証していきます。
海の性格・恋愛遍歴が違いすぎる
海は原作では、食卓にメザシばかり食卓に出しているので、祖母にうとまれたりしています。
家事ができる設定ではありません。
(またメザシなの。他の料理は出てこないのかしら?と訴えたいんでしょうけど。)
それに、不良と付き合って、ひどい目に合ったりもします。
海は北斗さん(原作は男性)に好意を寄せているんですよね。
(えー、映画の梅とはずいぶんというかあまりにも違いすぎる設定でびっくり。(@_@;))
映画だと真っすぐで純粋な海なのに・・・
おとなしい性格で、家事に責任感を持ってこまめにこなすいい少女なんですけどね。
そうそう、海の恋愛遍歴は・・・
年上の男性(北見北斗)への片想い。
最初は反発していたけれど次第に気になっていく存在の同い年の男の子(風間俊)と好きなのに別れなければいけなくなってしまう。
そんな苦しい状況からすぐに別の人と交際を始める。
なんか原作はすごい展開だったのに、映画では、風間俊を一筋に思うけなげな少女として描かれています。
映画『コクリコ坂から』を最初に観て、そのあと、原作の漫画を読むと衝撃がすごいですよ。
(私もあとで原作を読んだので、「えー、こんな展開やったん?」ってびっくりしましたから。)
キュンキュンしたい人は、原作の漫画を読まれることをおススメします。
かなりキュンキュンできますよ。
風間俊の性格は真逆
風間俊も原作ではちょっとダメダメな少年なんです。
賭け麻雀に手を出すような少年なんです。
(えっ? これも映画だと、すごく真面目で規律正しい俊なのにね。)
映画だと、生徒会長の助ける素敵な少年といういかにもいい子という感じで描かれていますよね。
爽やか少年の代表のような描かれ方をしている映画なのに、原作では賭け麻雀をして負けがこんでくるというどうしようもない少年。
映画の『コクリコ坂から』を観た人は、なんなん? 海も俊もどーしちゃったのよ! って突っ込みたくなるはずです。苦笑
映画の北斗はオリジナルキャラ?
北斗さんについても原作と映画では性別からして全く違っています。
原作は恋愛中心の少女漫画なこともあるため、海の恋の相手が何人か登場します。
海がそもそも好きだった人が登場したり、風間俊と一時別れたときに付き合った人など、何人も恋の相手が登場します。
(モテるね海ちゃん!^^)
海は北斗(北見北斗)さんに好意を寄せているんですよね。
風間俊に出会う前に、好意を寄せていた人が北見北斗さんなんだもん。
うーん。可愛い! こういう恋心、キュンキュンしてしまいますね。
その点、映画では、北斗さんは女性として描かれていますね。
映画で登場したコクリコ荘に下宿している人は北斗美樹。
北斗さんが女性になってるー、とびっくり。
映画での北斗美樹はオリジナルキャラなんですね~。
(おいおい、性別まで変えちゃうんだ、ともういろいろ変化がありすぎるので、ここもそうきたかって感じです。^^;)
祖父が亡くなっている
原作では、祖父も出てきます。へっ?
海に祖母がいるんだ~って驚きですよね。
実は、原作でこの祖父はすごい役割を担っています。
それは、海と風間俊が異母兄弟であることを、祖父が海に告げるという大役を担っていることです。
映画だと、風間俊自身が、海に「安っぽいメロドラマだよな・・・」って打ち明けますよね。
映画では、祖父は亡くなったことになっていました。
(原作での大役を担う祖父を、映画では出してこないという、話の筋書きを大幅に脚色(いやいや言い過ぎました)しすぎている感、満載ですね。^^;)
原作でのカルチェラタンの有無
映画と原作の違いで一番大きいのは、カルチェラタンの存在です。
だって、原作には、カルチェラタンは1ミリたりとも出てきません!
原作としては、カルチェラタンは存在しません!
えっ?
カルチェラタンは原作には出てこないんですよー。
(そんな大きな違いがあってもいいの?って疑問に思いますが、そこは原作の漫画と映画の違いですよね。
映画によっては、原作のストーリーとは違うものにすることも珍しくはないけど・・・
あまりに話が違いすぎるのは、どうなんだろう?って思ってしまう私です。はい、一個人の感想です。)
もちろん、学生運動はありますよ。
映画では、学生運動は、カルチェラタンの取り壊しのこと、存続についての学生運動話でした。
一方、原作の学生運動は、ただ単に、風間俊たちが麻雀で負けたお金を取り返すために生徒を巻き込んでいるというもの。
むちゃくちゃ不純な動機での学生運動なんですよね。
(学生運動の意味合いが全く違うやん!)
まとめ
『コクリコ坂から』の原作の漫画と、映画では大きな違いがあり、どっちが好きなのかは分かれてしまう。原作は、海や風間俊もイキイキとしていて明るい性格として(というか活発であり大胆に)表現されています。いい意味でも悪い意味です。
映画では、性格を含めて原作よりもおとなしめに描かれています。
北斗さんも原作は男性であるのに、映画では女性として登場。
海の祖父は、原作では重大発表をする大役を担っているのに、映画では亡くなった設定となっていました。
また、映画ではカルチェラタンの存在が物語の進行の中で重要な部分を占めているのに対し、原作では全く出てきません!
これは、原作は海と風間俊の恋愛が中心となって物語が進行しているからですね。
映画では、恋愛を物語の主軸とせず、カルチェラタンをめぐる学生運動を軸として物語を展開する方式が取られていたというわけです。
あなたは『コクリコ坂から』の原作の漫画と映画、どちらが好きですか?
私はキュンキュンすることができる原作の方が好きかな。^^
そうそう、原作の漫画だと、海が「メル」と呼ばれている理由とか、コクリコ坂というのはなんなのかという説明もなされています。
その点を知りたい方は、原作の漫画コクリコ坂から【電子書籍】[ 高橋 千鶴 ]を是非お読みください。
キュンキュンできますよ~。^^
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本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
では、また次回のブログでお会いしましょう。(^^)/~~~