『打ち上げ花火下から見るか横から見るか』の中に出てくる「もしも玉」。
もしも・・・の世界。
もし、○○だったら・・・と空想にふけることってありませんか?
例えば、学生時代につきあっていた彼(彼女)と結婚していたら・・・とか、就職を都会でしていたら・・・とかね。(^_-)-☆
今と違った世界で楽しく(もしくは悲惨に)暮らしていたかもしれませんね。
もし、○○だったら、という空想。
空想だけなら楽しいけれど、この空想が実際の世界で起こったらどうなるか。
そんな空想で考えていたことが、実際の世界で起きてしまったのが、『打ち上げ花火下から見るか横から見るか』ですよね。
(もしもの世界でもなずな、典道は生きていますよね。)
今回はそんな空想の世界に一瞬で連れていってくれる「もしも玉」の正体と、もしも玉が消滅したことに関連する内容を考察してい観たいと思います。
目次
打ち上げ花火下から見るか横から見るかの不思議なガラス玉の正体は?
ガラス玉の正体は何だと思いますか?
そう、もしも玉ですよね。
\映画『 #打ち上げ花火 』マメ知識💡/
— 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか (@uchiage_movie) August 17, 2017
本編に登場する時間を戻す不思議な玉は岩井俊二さんのアイディア。映画オリジナルのアイテムです。 pic.twitter.com/pI57ILa0pH
このもしも玉の正体はなんでしょうか?
現実世界と、もしもの世界があって、映画を観ていて、今どっちの世界なの?ってこんがらがってしまった人も多数いたような・・・
(私は先に「あらすじ」を読んでから映画を観たから、なんとか混乱せずに観ることができました。^^
「あらすじ」を知らずに映画を観たら、こんがらがってたでしょうね。ーー;)
もしも玉は典道の想いがいっぱい詰まった想い玉
もしも玉の正体は、典道の「もしも」の想いがいっぱい詰まった塊です!もし、こうだったら。
例えば、もし、水泳の競争で僕が(典道自身が)勝っていたら・・・
そうです。
典道の気持ちや妄想が「もしも玉」の正体なのです。
ハッピーエンドを考えるなら、なずなと典道の「もしも」の想いが入っているもの。
でも、実際には、典道だけの気持ち、想いだけが入っている。
なずなが転校してしまったことが相当ショックで、「もしも」の世界が夢の中で作られたのでしょう。
(という仮説を立てました。)
映画のラストでは、夏休み明けの典道は学校を休んでいましたね。
やはりなずなが転校してしまったことは相当ショックで立ち直れていないのでしょうね。
もしも玉は元はなずなの父親が持っていた
なずなの父親と母親は駆け落ちに成功して結婚しています。もしかして、この駆け落ちが成功した理由ももしも玉のお陰かもしれませんね。
なずなの父親ももしも玉を使って、IFの世界を繰り返していたのかも・・・
結局、最後はもしも玉を投げることができずに、海で命を落としてしまったのですがね。
なずなの父親の死因について
映画の中では、ほぼほぼ父親の死因については語られていません。一瞬だけ映った父親の姿は、溺れたサーファーを助けに行く寸前の姿とその後だけ。
ただ、これも、小説を読んでいる読者の方には理解できますが、映画だけを観ている方にとっては、「ん?そういう場面だったの?」と疑問に思われるのではないかと推察します。
「なずなの父親は心中しようとしている」と捉えた方も多数いらっしゃいましたから。
(そりゃ、わかりませんよね。あれだけじゃ。)
では、補足する意味合いで、小説の中ではどのように描かれていたのかを説明しますね。
なずなの父親は、典道のいる街にやってきてから、もしも海岸でサーファーショップを開き、経営をしていました。
しかし、1年前の夏、東京から来た初心者サーファーが溺れており、なずなの父はそのサーファーを助けようと向かいますが、一緒に波に飲み込まれ亡くなってしまう。
それから2日後の朝になずなのお父さんは海岸に打ち上げられているのが発見される。
そう、そうなんです。
初心者サーファーを助けるために救助に向かったなずなの父親は、波に飲み込まれて溺死してしまうんです。
なずなの父親は未来から来た人だったのかも?
あのもしも玉の正体は結局のところ映画の中では不明です。説明は特にありませんでしたね。
ただ、もしも玉はなずなの父親一家に伝わる不思議な力を持った物だったということ。
もしくは、なずなの父親が未来から来た人で、あのもしも玉は未来で作られたパラレルワールドを実現させるための(未来の)アイテムだったのかもしれません。
(こう考えると、いろいろとつじつまが合うように思います。)
ちなみに最後にもしも玉が砕けてしまったのは、IFの願いをたくさん叶えすぎてしまって容量オーバーになっちゃったから。
だから、花火として打ち上げられてしまった。
なずなの父親や、典道、そしてそのほかの人の願いをたくさんたくさん叶えすぎて、もう叶えるための空き容量がなくなった、って感じだと思います。
もしも玉が消滅したことについての考察
あのガラス玉であるもしも玉が消滅したことで、過去も含めて今まで世界に持ち込んでいたパラレルワールドの展開が全て消えてしまったと考えたらどうでしょうか。(突飛な考えでしょうか? いやいや一つの考察として興味深いのではないでしょうか。)
では、いくつかの考察を述べていきます。
そもそもがもしもの世界だった
えっ?って声が聞こえてきそうなのですが、最初からもしもの世界で始まっていたのかも。最初はもしもの世界での話だった。
最初はなずなの父親の空想した世界であるもしもの世界にいた。
そして、典道がもしも玉を手に入れてからは典道の空想した世界が広がっていった。
それが、もしも玉が花火と一緒に打ち上げられて砕けてしまった後に、正常な世界(というか私たちが生きている現実の世界)に戻った。
このように考えると、映画の中で、非日常的なこと(例:友人たちが登校する時にキックボード・スケボーで通学していた)が、映画のラストでは日常的なこと(例:友人たちは徒歩で通学している)になっていたことで証明ができます。
なずなは現実の世界には存在しなかった
これは、突飛な感じに受け取られる方もいらっしゃるかもしれません。最初、なずなの父親が作った空想の世界から始まっていると仮定すると、映画のラストでは現実の世界での話になっています。
そうなると、なずなは父親が作った空想の世界で生きている少女ということになるため、現実世界には居ないということになります。
(頭の中、こんがらがってきてませんか?大丈夫でしょうか。)
父親の空想の世界は、なずなの母親と駆け落ちして成功するというお話なので。
現実世界では、なずなの父親と母親は駆け落ちが成功していない世界ということになり、なずなは存在しないことになります。
だから、この町、典道と一緒の学校にもなずなはいない。
教室になずなの姿がないのは、上記のような理由からです。
(ちょっと強引でしょうか? でも、この考察でも私なりに「もしも」ということで考えてみた内容です。)
あなたはなずなが教室にいなかった理由はどうしてだと思いますか?
まとめ
今回は『打ち上げ花火下から見るか横から見るか』の中に出てくる「もしも玉」にフォーカスをあててみました。空想の世界に一瞬で連れていってくれる「もしも玉」の正体は結局これだ!という回答はできませんでした。
でも、もしも玉が「もしも○○だったら」ということを叶えてくれる不思議な玉だったことは間違いありません。
そんなもしもの願いをかなえてくれるもしも玉が消滅したことは残念ですが、「もしも○○だったら」というような考え方をしないで、「今を大事に生きる」「今を大切にして将来にプラスになるようにするにはどうすればいいのか」ということを考えさせてくれる映画だった。
私にとっては、最初は「もしも玉」があったらいいなーという軽い気持ちで映画を観ていたが、どんどん話が展開していくにつれて、「今、自分に必要なことをやっておくのが大事だ」というように捉えていくようになった。
なぜこのような考え方になったのかは説明するのがむつかしいが、「今を大事に生きる」ことを教えてもらったような、そんな映画が『打ち上げ花火下から見るか横から見るか』だ。
8月7日に金曜ロードショーで地上波発として『打ち上げ花火下から見るか横から見るか』が放送されます。
あなたが「もしも玉」についてどのような考え方をなさるのかに意識を向けてご覧になられると嬉しいです。
私も親子で見る予定にしています。子どもがどのような感想を持つかとても興味があるので。。。
【関連記事】
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
では、また次回のブログでお会いしましょう。(^^)/~~~