映画『えんとつ町のプペル』が2020年12月25日に公開されました。
もうご覧になりましたか?
コロナ禍なので、映画館に行くことが怖いなと思っておられる皆さんもいらっしゃいますよね。
そんな方向けに、ちょっと映画のネタバレをさせていただきますね。
絵本「えんとつ町のプペル」も映画もどちらも映像が綺麗だと好評ですよね。
大きなスクリーンで観るえんとつ町、ルビッチたちが初めてみた煙の向こうのきらきら輝く星空がとってもとっても綺麗でした。
\『映画 えんとつ町のプぺル』予告はこちら/
今回は、『えんとつ町のプペル』の映画と原作の違いについて解説していきます。
西野亮廣さんの作品制作の意図についても少し紹介しておきます。
えんとつ町のプペルの映画と原作の違いは?
『えんとつ町のプペル』は絵本と映画があります。
私は当初、絵本版の『えんとつ町のプペル』が原作となっていて、その話が元になって映画版が作られていると思いこんでいました。
でも、実際は違っていて、絵本の原作と映画版で異なる点がいくつもありました。
そこで、原作の絵本と映画との違いについて解説していきますね。
主人公が違う
絵本の『えんとつ町のプペル』の主人公はルビッチ。映画の主人公はブルーノ(ルビッチの父親)となっています。
まぁ、厳密に言うならブルーノの心臓を持ったゴミ人間であるプペルが主人公なんですけどね・・・
映画を観るまではてっきり絵本と同じようにルビッチが主人公だと勝手に思っていました。
あー、思い込みはいけませんねぇ。
父親との思い出の品が違う
絵本では、父親ブルーノの写真が入っているペンダント。映画では、父親ブルーノからもらった青い綺麗な石のブレスレット。
どちらの方でも、プペルはルビッチのために、ゴミ山の中を探すという行動は同じです。
プペルがルビッチのために、ゴミ山の中を毎日毎日探す作業をする。
そうやってルビッチのためにやっていることを理解されずに、「毎日綺麗に洗ってあげているのに毎日臭くなってくる」と文句を言われてしまうプペルが可哀想過ぎて、この場面でも泣けてきちゃいました。
(涙腺、弱すぎますよね?)
結末・ラストが違う
絵本の結末・ラストは、プペルがむちゃくちゃたくさんの風船を膨らませて、船を上にあがるようにします。煙の雲を抜けたあと、輝くばかりの星空をプペルとルビッチが見ることができます。
星空を見たあとに、プペルは自身の脳みそであるペンダントを引きちぎろうとしますが、ルビッチがその行動を止めます。
「毎日会おう。また、毎日一緒ん遊ぼう」って言うんですよね。
そして、「ホシを見につれてきてくれてありがとう」と感謝を述べると、プペルは照れくさくなって、ひとさし指で鼻の下をこするんです。
これって、ルビッチの父親のブルーノの癖ですよね。^^
ようやくルビッチはプペルの正体が父親ブルーノであることに気づきます。
なんかほのほのとした感じでのエンドです。
もちろん、じーーーんと感動するので、涙は出てきます。泣けてくるけど、なんかあったかい気持ちにさせてくれます。
映画の方はというと・・・
映画は船を浮かべるために使うのは気球。
気球で浮かんだ船から、無線爆弾をくくった風船を飛ばして、煙を吹き飛ばすという手法を取ろうとします。
でもね、帆先に風船が引っかかってしまうの。ルビッチが帆先まで登って、ひっかかった風船をなんとか放すことに成功します。
映画では、無煙爆弾が爆発し、黒い煙が吹き飛ばされ、空が晴れていくと・・・
まばゆいばかりのきらきら輝く星空が現れ、町の人たちと一緒に星空をみることができました。
「がんばったな、チビ」と声をかけるブルーノの姿と同時に、「ルビッチまたね」と言って、プペルがはらはらと崩れていくんです。
(えっ? なにが起きたの?と一瞬戸惑ってしまいます。)
プペルが崩れたあとは、ブルーノのブレスレットだけが残っていました。
そして、赤い塊がドクン、ドクンと脈打ちながら浮かび上がり、夜空に飛んでいきました。
その心臓は一番輝く星になりました。
なんかね、えっ、そんな終わり方なの・・・とちょっと切ない気持ちになってしまうラストシーン。
いいお話なんだけど、プペルがはらはらと崩れていくシーンがあまりに切なくて、ぽろぽろと泣いてしまいます。
(なんでプペルがいなくなっちゃうのよーって感じで。)
物語としては、最初は星の存在を疑っていたえんとつ町の住人たちが、最終的にルビッチとプペルを助けてくれます。
いじめっ子だった子供たち、アントニオ、レベッカ、デニスや大人たちもルビッチとプペルが気球につながった船が上昇するように異端審査官たちの邪魔をしてくれます。
そのおかげで、輝く夜空を町の人たちも見ることができたのです。
一人じゃなくて仲間の存在も大切なんだというメッセージが伝わってきました。
それと同時に、やはり信じることが大事。それも、周りに流されず信じること。
そんな大事なことを教えてくれる映画『えんとつ町のプペル』でした。
西野亮廣の作品制作の意図について
西野亮廣さんが作品制作のことを述べておられる記事を読んで、この方は広告がうまいなと感心しました。
私は絵本作家でもある西野亮廣さんなので、絵本が原作となっていて、映画化したのだと思ってました。
でも本当は全く違っていました。
西野亮廣さんは、映画『えんとつ町のプペル』がメインで、絵本は映画の宣伝をするための一つの手法だったと述べておられました。
えぇぇぇ!!
西野亮廣さんて、どんだけ先を見る力のある方なのー。
西野亮廣さん自身が、「行動すれば叩かれる」ということを実際に体験なさってますよね。
そんな体験を経験された西野亮廣さんは、「最後まで信じて夢をあきらめず行動」されてきて、このような映画製作もされ、映画も順調に観客動員数や興行収入も伸ばされる結果となっています。
西野亮廣の作品制作の意図は、『えんとつ町のプペル』をフリー素材にして、多くの人を作り手にできれば広告力で勝てるということです。
実際に、『えんとつ町のプペル』をフリー素材(著作権フリーとして公開)にされているため、Tシャツ、マグカップ、ラッピング電車、演劇など、さまざまなグッズやイベントが独自に生まれているのです。
まさに、作り手を増やすことで広告効果が上がっているということ。
このようにして、西野亮廣さんは「世界中の人を作り手にしよう」という発想がうまく作用し、映画『えんとつ町のプペル』の観客動員数や興行収入が伸びているという現状です。
西野亮廣さんのように、「最後まで信じて夢をあきらめず行動」したいと思いました。
まとめ
えんとつ町のプペルの映画と原作の違いは、●主人公が違う 絵本はルビッチ、映画はブルーノ(というかプペル)
●父親との思い出の品が違う 絵本はペンダント、映画はブレスレット
●星空を見に行くための船を浮かす方法が違う 絵本はプペルが膨らませた大量の風船、映画は気球
●結末・ラストが違う 絵本は星空を見るのはルビッチとプペル、映画はルビッチとプペルと町の人たち
また、西野亮廣さんの作品制作の意図は『えんとつ町のプペル』をフリー素材にして、多くの人を作り手にできれば広告力で勝てるということ。
西野亮廣さんのように多彩な才能はないけれど、私自身もルビッチのように最後まで信じて夢をあきらめず行動したい。
映画の宣伝のために制作されたという絵本「えんとつ町のプペル」↓
映画ももちろん感動しますが、絵本だけでも十分感動しますよ。
親子で一緒に絵を見ながら読みたい絵本です。
【子どもとみたい映画記事】
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また、次回のブログでお会いしましょう。(^^)/~~~