【借りぐらしのアリエッティ】ハルが小人を見つけたい理由は?借りると盗むの捉え方についても

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お屋敷の住人である貞子さんのお手伝いであるハルは小人を執拗に捕獲しようとします

なぜなのでしょうか?


そこまでやるーーー?ってくらいに執拗に捕まえようとしますよね。


なにか過去に小人にまつわる何かがあったのでしょうか?


今回は、お手伝いのハルが小人を見つけたい理由について解説していきます。

そして、アリエッティは物を「借りている」と認識し、ハルは物が「盗まれている」と捉えていることについても考察していきます。

アリエッティ一家である小人をお手伝いのハルが見つけたい理由は?


理由として考えられるのは、

物を盗む小人たちを許せないため

ハルの「小人を見たのよ」と言ったことを信じてくれる人がいなかったから証明するため

アリエッティ側は「借りた」という事象でも、ハルは「盗んだ」と捉えているから

さあ、本当の理由は何なのでしょうね。

あなたも一緒に考えてみてくださいね。

ハルは物を盗む小人たちを許せない

小人の存在については、お屋敷の住人と、使用人では捉え方が違います。

どう違うのかというと・・・

小人の存在を受け入れるのは、お屋敷の住人(貞子さんや翔)です。

『借り暮らしのアリエッティ』の中でも、小人が角砂糖を持っていっても特に何もしなかったでしょ。

逆に、アリエッティが落としていった「角砂糖」には、落とし物って翔がメモに書いておきましたよね。^^


でも、小人の存在を「泥棒」と呼び、捕まえようとするのはお屋敷の使用人というかお手伝いのハルですよね。

きっと使用人という弱い立場なため、何か物が紛失したときに、第一に疑われるのは使用人だから、というのがあるんでしょうね。


だから、何か物が紛失したりすると、ハル自身が疑われる立場になるために、それを回避するためもあって、小人を捕まえることに躍起になっている。


物を盗む=泥棒

泥棒呼ばわりされる自分のことを想像してしまい、そうならないために、実際、物を盗んでいく小人を見逃すわけにはいかないんでしょうね。

ハルが「小人を見たのよ」と言ったことを信じてくれる人がいなかった


以前のお屋敷には、ハル以外にもたくさんの使用人がいました。

庭師の方やお手伝いさんも複数人。

同じお手伝いさん仲間にハルが小人を見たときに、
「小人を見たのよ」と言ったけど、それを信じてもらえなかったという過去がある。

米林宏昌監督によると・・・
ハルは過去に「小人を見たのよ」と言って、仲間のお手伝いさんや庭師に言って回ったが、信じてもらえなかった

だから、ハルは「小人がいることを証明したい」と思っている。

そのときとても悔しい思いをしたため、今もその悔しい思いがずっと残っている。

「いつか自分の手で証明してやるわ」と思うようになったためようである。

ハルは小人を見つけて、お金儲けをしようなんてことは考えていなくて、自分の悔しい思いが「小人がいることを証明する」ための行動として、小人を捕まえるということになっている。

あーぁ、仲間の内、一人でも「そう、小人を見たのね」とハルの話を聞いてあげたらよかったのにね。(^_-)-☆

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「借りる」ことと「盗む」ことについての捉え方の違い

アリエッティ側は「借りた」という事象でも、ハルは「盗んだ」と捉えている

同じ物事を、Aと捉えるか、Bと捉えるか。

今回の場合は、洗濯ばさみとしましょうか。アリエッティの髪留めとして使用しているものですね。^^

(アリエッティは小人だから、私たち人間が使用している洗濯ばさみが、髪留めとしてのバレッタのような使い方ができるんですね。)

アリエッティは洗濯ばさみを借りていると認識している。

ハルの立場からは、洗濯ばさみは盗まれたという認識でしょうね。


借りているなら、返してくれるんだよねということ。


でも、アリエッティは返す気はないんだよね。

(人間の世界だと、返す気がなくて借りているのは、盗みだよね・・・)

小人と人間は捉え方に乖離がある

アリエッティたち小人たちの捉え方と、人間の捉え方にあまりにも乖離があるから、お互いがうまく理解しあえないんだよね。


借りぐらしの小人であるアリエッティたちは、人間から様々な物を「借りて」生活していますよね。

「借りた」ものは返すつもりはなさそうです。

借りて返さない・・・

本来であれば「盗んでいる」ことになりますね。


仮に、良い言い方をしても「頂戴している」ことに他なりませんよね。


こう考えると、確かに「盗んでいる」と言った方がしっくりきます。


でもね、ちょっとスケールが大きくなりますが、こう考えてみてはいかがでしょう。

私たち人間も、世界を「所有」しているという観念に立って考えてみるとどうでしょうか。

人間だって、地球上に存在する様々なものを勝手に「頂戴して」います

または勝手に「所有」して、それを消費しながら暮らしていますね。

地球上に存在するものを勝手に「頂戴して」おきながら、自然界に「返している」わけではありません


つまり、「利用できるものを利用する」という意味では、人間の行動も小人の行動も本質的には変わりないということですね。

原作からも捉え方の乖離を確認できる

原作「床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)」では、次のような箇所があります。

この箇所は、まさしく「借りる」・「盗む」のことについて、人間と小人で捉え方が違うということを説明しています。


人間の男の子が「それは盗みじゃないか」と言ったことに対して、アリエッティが「大きいやつら(人間)は私たちの為に存在してるんだから、そいつらから借りて生活するのは当たり前でしょ」と言い合う箇所があります。


これってうまい表現だな、と思いました。

まさに言い当て妙!


私たち人間の理論は人間に通じる理論であって、その理論がそのままアリエッティたち小人の世界に当てはまるものではないことがわかります。

アリエッティたち小人の理論は、小人が生活するために人間が存在しているんですものねー。

なんか立場変われば、理論も変わるんですね。
(当たり前か。)

まとめ

今回はハルが小人を執拗に捕獲しようとする理由について、解説というか考察してみました。

結局、ハルの承認欲求が満たされればよかっただけの話ような気もするのですが・・・

そんな結論だと、「チャン、チャン!」って終わりになってしまうので、ダメですが。

ハルというか、使用人の人間としては、借りたものはきっちり返してほしい。

アリエッティ側の小人にしてみれば、「私たち小人のために人間は存在しているんだから、借りパクして何が悪い」って感じなんでしょうね。

(えっ? あまりに端折りすぎて極端な結論になっていますか?苦笑)


結局、ハルは仲間に「小人を見た」と言ったときに、仲間の誰かがハルのことを認めてくれれば、それでハルの気は済んでいたのだと思います。

もし、私がハルの立場だったら、誰か一人でも仲間内で「小人、見たって? どんなだった?」って聞いてくれたら、それだけでいい。

だから、ハルも誰か一人でもハルの言葉に対して声がけしてあげていれば、今回のように執拗に小人を追いかけることはなかったし、捕らえることもなかったと思います。


この『借り暮らしのアリエッティ』を見ていて、アリエッティの母親を捕らえる時のハルの顔が怖すぎて・・・

物事をある一方方向だけにしか見られないようになったら、それは恐ろしいことなんだな」ということも学べたように思います。

一人で抱え込まずに、他人に(話を聞いてくれそうな人に)話すことって意外と大事なんだな、ということも気づけました。

『借り暮らしのアリエッティ』はいろいろな点で、私に学びを与えてくれたいい映画でした。


まだご覧になっていない場合は、是非ご覧になってくださいね。

きっと「何かの気づき」が生じるかと思います。


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今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。



では、また次回のブログでお会いしましょう。(^^)/~~~


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